太陽または宝石もしくは花
アイドルを応援*1していると言うと「付き合えないのになんで好きなの?」(意訳)と聞かれることがたまにある。
言わんとしていることは理解できるんだけれど、”アイドルオタク”と”そうでない人”とで大きな隔たりを感じてなんともいえない気持ちになってしまう。
そういうんじゃないんだよ、と返してみてもあちら方は腑に落ちないというような反応をする。
なんでやねん。*2
自分の考えをまとめるためにもここでひとつブログにしてみよう。
件の付き合えないのに(以下略)に対する私の答えはこうだ。
付き合えるもんなら付き合いてぇわ
しかし当たり前だけどそんなチャンスは天変地異でも起きない限りやってこないし、もし仮にそのチャンスが目の前に転がっていたとしても飛び付くかどうかわからない。
そもそもアイドルに対しての感情は恋愛的な好きだけではなくて、なんというか、尊敬・憧れ・自己投影・クソデカ感情のはけ口、そして信仰に近いものがある。
あくまで私の話なのですべてのアイドルオタクがこうという話ではもちろん無い。
尊敬と憧れについてはわざわざ掘り下げる必要もないと思うけれど、現代でアイドルを職にするという選択がもう尊い。ありがとう。
自己投影については、私はインタビューやブログで共感できる発言をされるとコロッと好きになってしまうタイプのオタクなのでそのアイドルのことを調べれば調べるほど自己投影が進んでいきアイドルが難しいキーの曲を歌う時やお芝居で重要な役が回ってくるとガチガチに緊張する。もちろんアイドルはプロなので私がいくら緊張しようとクールにやり遂げるんだけれど。(しゅき…)
クソデカ感情のはけ口は以前このような呟きを見た時「これじゃん!」と衝撃をうけた。
現実を見ろだとか言われるけれど推しに向けている熱量を近場の生身の人間にそのままぶつけたらどうなることか
うろ覚えだから原文は違うけれどだいたいこんな意味だったはず。*3
綺麗な言い方をすれば、アイドルオタクの熱量は海のように広く空のように高い。感情を持て余していると言ってもいい。
例えば貴方がなにかする度にそれこそ机に頬杖をつくだけでカワイー!カッコイー!と黄色い歓声があがったり、歩いていると名前が書かれたり顔写真がプリントされた団扇を振られたり、何気なく放った一言を何年もずっと覚えられたり、生活をツイッターで逐一実況されネットで考察記事を上げられたりする。もちろん動画や写真はそんなに?ってほど撮影される。会話するだけで感極まって泣かれたりすることもある。
最初は珍しくて面白いかもしれないけれど1日でも体験すればしんどいだろう。私ももしやられる側だったらと考えると物凄く嫌だ。そんなことする人とは距離を置くことになるだろう。普通に怖いし。
だけどアイドルとファンという関係であればこの一方通行の暴力的なまでの愛情表現が許されるのだ。なんならその行為をありがとうとアイドル本人から言ってもらえる。
ファンの枠からはみ出しさえしなければクソデカ感情をアイドルに対して抱いていいという免罪符は麻薬的でとても心地がいい。シャブだシャブ。ガンギマリだ。
信仰に近いというのはコンサートだったりの現場に行くのは巡礼そのものだと思うし、CDやDVDやアイドル雑誌は教典足りうるしお布施の役割も担う。アイドルの語源が宗教用語の偶像からきているという話は余りに有名。
現場で揃う掛け声や歓声を聞いたり揺れるペンライトの光を見ていると祈りのように感じる。
チケットが当たりますように、良席に座れますように、推しに大きな仕事が決まりますように、と徳を積むために善行を心がけるみたいな話もよく聞く。
ファンじゃない人にしてみたらこの一連が滑稽に見えるところも実に宗教的だと思う。
でも好きなアイドルが信仰がなければ悪意に勝つことはできない*4って歌ってたのでそういうことだと思う。
最後ぶん投げて終わったけどだいたい整理できたかなー。
あーもう!コロナ禍しんどい!!
現場行きたい!!!!